ブレない人が例外なく大切にしているもの。

ブレない人は「在り方」を大切にしている
まず、そもそも「在り方」とは?ちょっと抽象的ではありますが、在り方とは以下のようなものです。
- こだわり
- 個性
- アイデンティティー
また「在り方」は「人格」とも取れます。諸説ありますが人の人格は、~12歳ぐらいまでにはほぼ固まっているそうです。そして、その頃の経験がベースになり、その後のあなたの「在り方」を形成していきます。
自分の「在り方」を守る
そして、ブレない人は自分の「在り方」を大切にし守っています。
例えば僕は、「挨拶は目と目を合わせて行うもの」。それ以外は挨拶ではない!と頑なに思っていた時期があります。僕がちゃんと挨拶したにも関わらず、相手がデスクワークをしながら「ざぁーっス」なんて挨拶されると。
「おい!(怒)」ってなっていました。これです。これが「在り方」です。
ここで、「おい!それ違うやろ!」と、相手に遠慮のない言動ができると、あなたの「在り方」は守られます(在り方は間違っているときもありますが、大事なのはそこではなく、それを貫けるかどうかです)。
しかし、そこで発言しても遠慮があったり、発言できず「まぁ。今言わなくてもいいか・・・」と自分の「在り方」と引き換えにその状況から逃げることを正当化してしまうと・・・
自分の「在り方」、アイデンティティーは徐々に崩れていきます。これを貫き通せるかどうかは「理解する」とか「理屈」では200%解決しません。やるか、やらないか。だけなんです。
ブレない人もあなたと同じように「まぁ。今言わなくてもいいか・・・」と思うけど、「いや!それは俺じゃない!」と自分の「在り方」を守っているんです。たとえそれが間違っていてもです。
ブレない人は目標はもちろん。その先の目的を持っている
目標と目的の違い
ブレない人は目先の目標だけではなく、その先にある明確な目的を持っています。だから、方向性が変わり、目標が変わっても目的が達成されるのであれば、そこにこだわりません。なのでブレてないように見えるのです。
イソップ寓話の「3人のレンガ積み職人」という話しを知っていますか?旅人が旅の途中で3人のレンガ積み職人に出会い、それぞれに「何をしているんですか?」と聞いていきます。
一人目は・・・
「親方の命令でやってるんだ!暑い日も寒い日も1日中レンガ積みだ。…まったくついてない!」
二人目は・・・
「レンガを積むと10セントもらえるんだ!俺はこれで生活してるんだ」
三人目は・・・
「歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだ!ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだ、素晴らしいだろう!」
一人目は愚痴しか言ってません。目的も目標もないのでしょう。二人目は生活することが目的になっています。そして三人目は、その先が見えています。自分の中から生まれてきた目的を持っています。
間違えないでください。目標はゴールではありません。目標は通過点です。大事なのはその先にある目的です。
目標と目的は似て非なるもの。
- 目標⇒通過点
- 目的⇒続きを読んでね
何を目的にすればいいのか?
目的を追求していくと、最終的には自分がどう在りたいか?に辿り着きます。
というか、人ってみんな、「なりたい自分」になるために生きているんです。お金を稼ぐことも、ファッションも、職業選択も、あらゆる言動や行動も・・・全ては、自分で在るため、自分らしく在るためのものです。
いくらお金を稼いで裕福になったとしても、自分を表現できない、自分が自分でいられないと、苦しいだけ。なんのためにやってるのか全く意味を感じられません。
イソップ寓話の三人目のレンガ職人も、皆が祝福を受ける偉大な大聖堂を作った自分がなりたい自分なんです。
「自分らしくある」これが人生の最終目的です。