正論とか正義をかざし相手を論破してやろう!
という人をテレビでよく見ます。
しかし、ときに正論は切れ味鋭い武器になってしまいます。
正義も正論もバランスで成り立っている
正義をかざすのはとても気持ちがいいものです。
こんなにも自己承認欲求を満たせる行為はありません。
完全勝利、最高の気分です。
でも、正義はバランスで計られます。
時と場合、また立場によって、また、多数決のようにバランス次第です。
部下や、取引先に対して。子供や生徒に対して。
サービスや、商品に対して。
何が目的?
何を伝えたいのか?
非の打ち所の無い正論って、正しすぎて誰も逆らえません。
無抵抗の相手にマウントを取って、これ以上何をするのでしょうか?
言われたほうはけっこう傷つきます。
「どうだ!俺の言ってること正論だろぅ!」
確かに間違っていません。
しかし、相手に何かを伝える事が目的ならば、その相手を正論で切りつけて伝わるのでしょうか?
その武器は一度、鞘に納めるべきかもしれません。
正論はいつ生かされるのか?
では、非の打ち所がない正論はいつ生かされるのでしょうか?
聞かれたとき
正論でもって相手に何かを伝え、行動を促したいのであれば、まずは相手の話しを聞くことです。
相手に話をさせることです。
その中で、相手があなたに意見やアドバイスを求めてきたとき、あなたの正論が役に立ちます。
「なるほど、もう少し詳しく教えてください」
と。
切れすぎる刀を鞘から出して歩いていると、周囲を傷つけるだけです。
必要になるまでちゃんと収めておきましょう。
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今回はいじょうです。
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