3つの質問で分かる「自分の武器」

経験と体験をお金に換える。自分の武器収益化プロジェクト。

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逃げるように退職、起業して失敗、引きこもって気づいたこと。

居酒屋時代

ずいぶん真面目なやつだなぁと、褒めてやりたいです。

もう少し、サボり方とか力の抜き方を知っていればよかったのか。

でも、こんな自分だから今があるのかなとも思います。

自分がアップグレードするまで

改めまして、ブログ運営者のSINです。

少し長くなりますが、僕が今に至るまでのことをまとめました。

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僕の経歴とかは、こちらで確認できます。

小さい頃

およそ20年前

居酒屋時代

高校卒業して普通に就職した僕は、刺激のない日々に耐え切れず20日で会社を辞めました。

自分で何かしたい!

と思い、いくつかの仕事をへて、店舗運営を学ぼうと思い居酒屋チェーン店の門を叩きます。

包丁さえ握ったことのなかった僕が、1ヶ月もしないうちに店長を任せられます。

店長のほとんどが僕と同じ20代。幹部も30代がほとんどでした。

お店は年中無休で、店長の僕の休みが半年無いのは当たり前。

労働時間は17~20時間。

睡眠はお店の堅い床。

いわゆるブラック企業です。

社会経験が少なくブルーカラーの仕事ばかり、あまり世の中のことは知らりませんでしたが、これを「当然」と思っていました。

テキヤの世界で上下関係の厳しさや、上の言うことは絶対ということを体で学んでいたからです。

飲食業もこんなものだろうと思っていました。

まして、自分で店を持つなら当然のこと、「このぐらいやらないかんやろ!」ぐらいの勢いでした。

上司も、同僚も皆、そうしていたからです。

こうした日々を3年ほど続けました。

「飛ぶ」前の夜

話しは、会社を飛んだ前の日の夜です。

この日のことは、少し記憶があいまいです。

ただ、翌日の朝。

シャッターが開いたまま閉まったお店で、早朝。ガラス越しに真っ直ぐ入ってきた朝の光が床で反射し、その日の記憶のようにぼやけ、すごく眩しかったのを覚えています。

その日は、月に1度の会議の日。

会議は、棚卸という作業を終わらせ。

原価率を算出し、会議用のレポートを作成してから参加しなければいけません。

棚卸しは、前もってできず、必ず会議前日にしないといけません。

会議前日は、通常の閉店業務とは別にこの作業を終わらせないといけません。

テーブルの上の割りばし一本一本も数えるのが棚卸しです。

寝ずに会議に参加する店長はかりでした。

会社のオーナーはまだ30代。

単身、大阪から身一つで出てきて30店舗まで拡大。

宝石など扱う別会社などもあり、「その筋」とも関係があるとかないとか。

月に一度の会議は、陶器の灰皿が会議テーブルの上を飛んでくることもありました。

オーナーは時間に厳しく、会議に遅れるなんてありえないこと。

まして、レポートがないなんて天変地異です。

そんな、月に一度の会議に僕は、スタート30分前にお店の床の上で目が覚めたんです。

1店舗1責任者(社員)が基本の店舗運営。

夜22時以降になると、僕を入れて二人しかいない体制です。

大学生の子も23時までのシフトです。

これ自体は慣れていました。いつものことです。

「今日も寝ずに会議か・・・」

このお店は特にお客さんが多いので、22時以降でも満席状態。

23時ごろになると80席あるキャパで半分ほど埋まった状態で、ホールも厨房も僕一人。

大学生のアルバイトは23時30分まで頑張ってくれました。

僕は「もう、帰っていいよ!」と強がって、大学生を返します。

覚えてませんが、店長のプライドでいつもそうさせていました。

きっとその日もそうしたはずです。

なぜなら、本当は一人になって、厨房の陰に隠れて休みたいからです。

でも、そんな姿見せられませんから。

オーダーストップは午前1時30分。

深夜2時が閉店です。

全てのお客さんが帰るのがおそらく午前2時30分ごろ。

ホールを見渡すと、当然ですが片づけは全く終わっていません。

厨房の片付け、明日の仕込み、当然、棚卸もこれからです。

ここは少し覚えています。

疲れ果て、ホールにしゃがみこんでいました。

これから始まる作業量を考えると思考が止まったんです。

でも、この日が特別ではなく、ほぼ毎日この繰り返し。

それでも、なんとか気を振り絞ってやってきました。

まして、この日は会議の全日です。

まず、日報だけ送って、とりあえず頑張って片づけを終わらせて、棚卸だけでも終わらせよう。

仕込みと残りの片づけは、会議から帰ってきてからやればいい。

だから、「とりあえず少し休もう」

本当にフラフラの状態でした。

いつも通り、硬い床の上で。

30分でいい。

少し休んでから・・・。

気持ちのいい眠気が一瞬で・・・。

気を失うように眠りにつきます。

・・・・。

・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・?

ん・・・。

明るい・・・?

・・・・っ!!!!!

 

!!(っ!時計を確認)

・・・・・っ!(血の気が引く)

・・・・。

・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・

(終わった・・・)

会議が始まる30分前でした。

「もういいや。飛ぼ(辞めよ)」


床で寝ると体はバキバキになります。

「とんでもないことをやらかしてしまった。もうやめてしまおう」

そう思うと、肩の荷が降りました。

気持ちがすごく楽になりました。

照明が消えた薄暗い店内から、シャッターが開いたままの入り口から見える外の風景が、あさの光で白く強く不鮮明に光っていました。

その後、誰とも連絡を取らず無断欠勤。

その後、色々ありましたが、僕は燃え尽きました。

20代で自己破産と離婚

子どもはふたりいました。

4歳と生まれたばかりの子。どちらも女の子。

妻は育児の疲れから少し気持ちがまいってしまい。

僕も、今振り返ると精神的にまいっていたのでしょう。

財布のお金がなくなると、武富士(消費者ローン)に行って、自分の口座のようにお金を下していました。

なぜお金がないか?ほとんど家に帰れず二重生活になっていた。家計管理が出来ておらず、僕も妻も考えなく散財していた。お店のレジ金が毎日会わず毎月6万円前後自腹で穴埋め、原価率が高すぎても自腹で穴埋めしていた。妻が訪問販売で数百万円の買い物 etc

25歳のときに逃げるようにして会社を辞めたあと、借金の額を知って驚愕しました。

驚いたのは月の返済額です。

家賃や保育料の滞納もあり、それにローンを合わせた月々の返済額が60万円

にまでになっていました。

当時の給料は35万円です。

その後、母に相談し司法書士さんに依頼。

自己破産一歩手前の特定調停という手続きをします。

初めて裁判所に足を運んだとき、入口付近にある案内文を見ると、事件番号が付与されていました。記憶から消えないままです。

いわゆる「ブラックリスト」に載りました。


その後、いくつか職を転々とします。

妻とは、その間に離婚しました。

僕も妻も疲れ切っていました。

完全に乾ききっていると、お互いの為となり離婚もスムーズです。

僕は、借金を、妻は子供を連れてそれぞれやり直すことに。

妻はほどなく再婚(僕にとっては逆に安心しました)。

僕は、この経験から「お金」に対して、単なる金銭欲だけでなく、自分でも分からない何か特別な感情を抱くようになります。

これが、僕の20代の出来事です。

他人に人生の舵を握られる人生

居酒屋を辞めた後、肉体労働中心だった自分を変えようと思いました。

実は、ひどい腰痛(椎間板ヘルニア)を患っていた為、職種を変えて仕事を探そうと思ったんです。

高卒の僕ができる、頭脳労働、営業職しかありません。

最初は、JCOMの訪問販売、次は教材売りの訪問販売、その次は保険の外交員と営業畑を歩み始めました。

借金返済

この間、深夜の警備員など、多いときは3つの仕事を掛け持ちし残った借金を完済します。寝るまもなく相当辛かった記憶があります。

そして、前職はこの経験を生かし、創業間もないベンチャー企業に中途採用。

ここで10年間努めます。

ここでは、居酒屋時代の苦労が生かされます。

この会社も午前様は当たり前でした。

休みは2年間全くありませんでした。立ち上がったばかりの会社ですから当然です。

僕はこの会社にかけていました。兎に角必死に働きました。

現場の営業職から本社勤務になり、

  • 広報、広告、店舗開発などマーケティング部署を立ち上げ
  • グループの子会社2社の立ち上げ
  • ロサンゼルスで新規事業立ち上げマーケット開拓

アメリカ、香港の金融関係にも人脈を広げました。

脱サラ起業

しかし、僕は脱サラします。

脱サラのきっかけは、会社がイヤ、人間関係がイヤだったからです。

僕が思う、脱サラ起業で一番ダメな理由ベスト1位です。

一番失敗する起業の理由です。

組織人に向かない「僕」

僕、個人的には様々な経験を積み、確実にスキルアップしていました。

が、出世とは、ほど遠いところにいました。

むしろ、避けていました。

飲みにケーション、会議前の根回し、お歳暮、お中元、派閥、Yesマン etc

サラリーマンというのは、戦国時代で言うなら武将に使える家臣です。

Noマンではダメ、自分の意見を持たず将軍を支えるのが役目です。

Yesマンであり続けないといけません。

出来レースの会議に参加しないといけません。

ときに賄賂も必要。

「組織人」であるならば、こういったスキルがなければ一生浮かび上がれません。

明智光秀ではダメなんです。豊臣秀吉や、じっと待てる徳川家康でなければいけません。

僕は、会議になるといつも集中砲火を受けていました。

会議前にロビー活動をしていないからです。

知らなかったわけではんく、やらなかったんです。

だって会議の意味ないですよね?僕はそういう人間なんです。

創業当初、数人で始まったころワンチームで、一枚岩としてまとまっていた会社でした。

しかし、会社が大きくなるにつれいつの間にか派閥が生まれ、必要のないロビー活動が始まり、足の引っ張り合いが始まり、疑心暗鬼に。

これに納得のいかない僕は、いつしか会社で浮いた存在に。

会社がイヤになり、人間関係がイヤになり、ロサンゼルスでの仕事が終わり帰国と同時に退職します。


ただ、当時の僕はこう思っていました。

「何か自分で責任を取ってきたのだろうか?」

「自分の人生なのに、組織という大船に乗っているだけ?」

「自分で舵を握っているのか?他人に舵を任せて安心しているだけじゃないか?」

「責任から逃げていて、大船に乗って安心していたかった?」

そう思うようになっていました。

そんなに起業は甘くない

しかし、そんなに甘くはありません。

お金で苦労したことをきっかけに、ファイナンシャルプランナーを取得し400件以上のライフプランやファイナンシャルプランの経験を積んできました。

当時の僕がやろうと思ったのはセミナー講師。

商品は金融商品です。

僕の想いは「資産形成の啓蒙活動」

  • 老後の年金なんてもらえない!
  • 国や会社に頼っていてはダメ!
  • 未来を変えるのは自分自身!

僕の母は、年金を払う余裕もなく3人の子供を女手ひとつで育てあげました。

既に70歳を越えますが年金は月3万円。

これを知った時、すごく矛盾と怒り、申し訳なさを感じました。

でも、国、会社、世の中が何かしてくれるわけでもなく、待っていても白馬の王子様はやってきません。

自分で何とかするしかないんです。

僕が学んできた資産運用や金融の知識を多くの人に伝えよう!そう思いセミナー活動を始めます。

マネーセミナー

子育て世代向けセミナー

子ども知恵セミナー風景

老後の知恵セミナー

しかし、実際は集客が上手くいかずセミナー活動は1年ほどで断念します。

想いだけでビジネスは成り立たないんです。

何が足りていないのか!?

悩み

やる気や想いはあったのになぜうまくいかないのか?

「自分には何が足りていないのか?」

もちろん、資金が足りないのは重々分かっていました。

ただ、そこじゃない何か別のものが不足している・・・

何か根本的なものが足りていない・・・

ハッキリ分からないんですが、全体的に何かしっくり来てないんです。

この疑念を払拭する事ができません。

ビジネス本を読んだり、ネットで調べたりして「パーソナルブランディング」というものを知りました。

これが足りないものかもしれない!

一歩近づいた気がしました。

自分をブランド化できれば、セミナーも集客できるし商品も売れる!

どうすればパーソナルブランドを構築できるか?

そこに多くの時間とエネルギーを使いました。

しかし、知れば知るほど遠くなっていきました。

それは、自分のブランドって何だ?の答えです。

自分の強みやウリ。これが何で、どう形にすればいいか?

その発信方法がわかっても、それが無ければ空っぽ。

でも、それを教えてくれるところはどこにもありません。

ちょっと行き詰っていました。


そこからさらに起業塾や自己啓発セミナーや合宿、USPに関するスクールにも通いおよそ数百万円をつぎ込みます。

「自分に足りていないものは何か、もう少しで分かる気がする」

「これだけ、時間とお金をつぎ込んできた、もうひといき!

しかし、結局パーソナルブランディングとなるようなものは見つかりませんでした。

ボンっ!

バーンナウト。燃え尽きます。

35歳でひきこもり

引きこもって分かったこと

足りていた?

貯蓄も収入も途絶え始め、僕の人生は再度、詰まれようとしていました。

脳裏をよぎったのは、借金地獄の記憶。

僕はそうしたプレッシャーに負け、とうとう引きこもりになります。

しかし、この引きこもりのときにやったことが、後に大きな資産になりました。

これまで居酒屋、借金、離婚、組織人、起業・・・

色々やってこの結果・・・

「なぜ?何が足りてない!」

納得いきませんでした。

大きなカレンダーの裏紙を使って、ひたすら「アウトプット」をしました。

「自分の人生の棚卸し」です。

頭から煙が出るくらい、とにかく自分の経験や想いを書き出していきました。

自分が本当にやりたいこと。

自分の欲望。

本当はやりたいくないこと。

自分がこれまで何に時間を使ってきたか。

今後何をすれば?ビジネスの構想など。

色々考え、再度アウトプットし、それらをまた削っていき、ひとつにまとめ上げ、また広げる。


そうこうしている中で、ふと気づきが・・・

「もしかして、足りてる?」

「いや、仮に足りてないとしても、足りている仮定してみてもいいのかもしれない」

「いや、そう思うことが必要だったのかな」

このとき、何か全の別の道が開けた感じがしました。

このとき、ひとつ手放そうと思ったことがあります。

「学び」です。

「学び」とは、自分には不足していることが前提にあります。

「自分に不足しているものはない。だから学ぶ必要はない」そう思ってみることにしたんです。

すると、こういう考えが生まれました。

「もう誰かに頼るのはやめよう。依存を手放してみよう」

アイデンティティ

ここまで、僕が追い続けたパーソナルブランディングからは、遠ざかっているように思えるかもしれません。

しかし、実際には多いく使づいています。

人が、一皮むける瞬間、ブレイクスルーするとき、これまでとは違う見方をする必要があります。

僕らは、与えられて生きてきました。

住む場所も、衣服も、食事も、友達も、愛も。

社会に出てからもそれは続き、お金も、善悪も、人間関係も。

もちろん、一人では生きていけず、多くを与え、そして与えます。

しかし、自分でつかみ取るものもあります。

生きる目的、生きる喜びです。

9回転職を振り返ってみると、

目的があいまいで、計画性がなく、自分が何をしたいのか自分が分かっていない、何かを最後まで成し遂げる覚悟もありいませんでした。

お金だけ追っていて、その先の目的がない。

そんな自分を、自分の中で上手に折り合いをつけ、自分を納得させる。

組織にいる間に、そういうスキルだけは身に着けていたようです。

若くして明確な、夢を持ち目標を持って生きる人が急に羨ましく思い始めました。

苦労や困難も乗り越え、夢に向かってまっしぐら。

僕もそんな人生を歩みたかったです。

当時の僕は、とてもそこに辿り着けませんでした。

気づき

パーソナルブランディングと、生きる目的。

何かここにヒントが隠されているように感じたんです。

自分がどんな自分で在りたいか?

誰かに見せる為の自分ではなく、自分が望む自分はどんな自分なのか?

自分が自分の人生に何を望んでいるのか?

大きなことは成し遂げようとする前に、カッコつけず我がままに。

欲望に忠実に「心から望むやりたいこと」

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「どんな自分でいたいか?」

つまり、「アイデンティティ」です。

パーソナルブランディングとはこういったものがないとダメなのでは?

自分が望む自分像です。

そい思うようになってきました。

アイデンティティは「学ぶ」ものではなく自分の中にあるもの。

これがなければ、炭酸の抜けたコーラみたいなもの。

この気づきは、大きく一歩近づいた気がしました。

ヒンズー教の言葉を思い出しました。

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

一番最初の「心が変われば」

ここに何かヒントがあるような気がしました。

「心」が変われば、全てが変わります。

自分がバージョンアップするんです。

その方法は?どうすれば自分の心は変わるのか?

手放すこと

「学ぶ」ことも大事です。

しかし、それと同じかそれ以上に「手放す」ことも大事。そう考えてみました。

お金が「ある」「ない」とか

自信が「ある」「ない」とか

仕事が「ある」「ない」とか

やる気が「ある」「ない」とか

夢が「ある」「ない」とか

愛が「ある」「ない」とか

あるもの、ないもの探してみても、満たされないのはなぜでしょう。

何を足せば満たされるのでしょうか。

そうじゃなくて、既に満たされていると考えるとどうでしょう。

足りないという思い込みから、何かで埋めよと必死になっても、もう満たされていたら。

次にやることは、足すのではなく、手放すことです。

両手で握りしめてる、常識や正しさや信念。

新しい価値を掴む為に、その手を広げないといけません。

今、手に掴んでいるものを一度、捨て去る。

それが、心を変えるかもしれない。

そうすると、態度が変わり。行動が変わり。習慣が変わり。人格が変わり。運命が変わのかもしれない。

行動あるのみ、よーいどん!

3年後の自分

これまで、いろんな自己啓発、集客塾、起業塾の類のものを学んできました。

これらを自分になりに整理し、自分にあったやり方で実践してみることにしたんです。

僕にとっての壮大な実験。

最初にやったのは、「3年後の自分」というゴール設定。

この為にやったのが、ブレインダンプです。

幸いというか、僕は引きこもっていたときずっと、色んな想いや考えをカレンダーの裏紙10枚分ぐらいアウトプットしていました。

その延長線上という感じで、そんなりできました。

ブレインダンプでアウトプットしたのは、

  • やりたいこと
  • やらなければいけないこと
  • 自分の武器(強み)
  • やりたくないこと

これらを100個アウトプットし、全てを順に繋げた、「人生のToDoリスト」を作成します。

さらに、「人生の輪」を行い、自分の望みを明確にし、「やりたいこと」をさらに絞り、3年後どう在りたいか?を明確にします。

これらを明確にしたら、

  • 2年後
  • 1年後
  • 四半期ごと
  • 一ヶ月後
  • 一週間後
  • 今日

この間隔で、逆算の行動計画(ガントチャートが便利)を作ります。

やりたいことが達成できたら、末梢線で消していきます。

このとき誰しもが達成感を味わいます。

これが、カンフル剤になります。

そして、四半期ごとに、最初のブレインダンプを更新していきます。

現在もこれを現在進行中で続けています。

言葉で言うと、簡単かもしれませんね。

でも、これが僕の人生の転機になりました。

行動して気づいたこと

終わりを意識する

3年後という目標を設定し、ゴールを設定るすると、ある意識が生まれました。

3年後のことは正直忘れていることが多いのですが、逆算することで、一ヶ月後、一週間後、そして今日。

近いゴールを意識することはできます。

ゴール(終わり)を意識することで「今」を以前よりも意識するようになったんです。終わりを意識することで、時間に対する意識が変わり、すごく貴重に感じるようになりました。

今を生きる

僕らは、時間は有限だということを、夏休みから教わりました。

失敗という体験をもって。

夏休み初日に宿題を全部終わらせることで、残りの時間を全力で楽しめます。

このときすでに「今」を楽しむ方法を知っていたんです。

夏休みも、人生も全く同じ。

しかし、僕は「今」を生きることができていませんでした。

今を生きるなんて、興味もなければ、知ろうともしませんでした。

でも、自分を見失い、他人に振り回された今、今を生きることの意味が少しわかった気がします。

セルフプロデュース

さて、現在僕は、以前よりかなり自分をコントロールできるようになっています。

時間、収入も何とかコントロール出来ています。

このブログでは、その方法を公開しています。

もし、興味がある人は実践してみてください。

あなたは、あなたという最高のプロデューサーを持っているんです。